すいみんせいかつ


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隠し事


 「くれぐれも頼みますね、日本さん。」
 そう言って、上司が含みのある笑みを浮かべたのは昨日のことだった。
 「明日、イギリスさんが訪ねて来るということです。いつものように貴方の家を彼は訪ねる予定です。プライベートということですので。でも。」
 こぼされるのは柔らかい笑み。しかしその目は厳しい光をたたえている。
 会議の後の昼下がりだった。部屋の中はあたたかな光で満ちており、上司もみな笑みをたたえていたが日本はただ一人、その雰囲気にそぐわない格好をしていた。軍服の下、おびただしい量の包帯と滲む血。すべて先の戦争で負った傷だ。素朴な笑みをたたえながら、まるで弄ぶように日本の身体を傷つけていった青年を思い出す。耳元で囁かれた暴言がよみがえり、ずきりと太ももの傷が痛んだが、ポーカーフェイスが得意な日本はそんなことなどおくびにも出さずに優雅に微笑んでみせた。
 「もちろんです、わかっていますよ。」
 「それならよかった。」
 ほっとしたように息を漏らすのは、上司の部下である男たちだ。上司とは違い、不安そうな目を日本に向けている。おそらく国の体現である自分がこれほどまでに消耗しているのが恐ろしいのであろう、と日本は見当をつけ、それも当然のことだと考える。そういえばかつて、国を守りたいがために城の奥に閉じ込めた上司すらいたものだ。
 「では、明日はよろしく頼みますぞ。イギリスさんにはくれぐれも、」
 「もちろん。ポーカーフェイスは私の得意とするところですので。私がこのような状態であることなど悟らせはしません。」
 調子は柔らかいまま、しかし強い口調で日本は言い切った。果たして、日本だってそんな事態は望んでいなかったので。
 上司たちは日本がイギリスに見限られることを心配しているようだったが、それは日本も同じだった。
 見限られる、というとニュアンスは違うかもしれない。しかし、とにかくあれだけ援助してもらってここまで痛手を被ってしまったことについて、落胆されるのではないかという不安があった。日本は実のところ、まだイギリスに心を許してはいなかった。イギリスだってそうだろうと思う。何せ、長いつきあいのある西洋諸国とは違い、近年開国したばかりの極東の小さな島国なのだ、自分は。落胆されてしまえばこれまで築き上げて来たすべても無に帰すだろうという予感があった。だから。

 「大丈夫です。私は昔から、やると決めたことはやるのです。」

 自分に言い聞かせるように鏡の中の黒い瞳を睨みつける。時計を確かめると、もうそろそろイギリスが到着する時間であった。気合いを入れるように頷くと、箪笥から一張羅の着物を引っ張り出す。そして、寝間着代わりの浴衣を脱ぐと、外から見える場所に巻かれた包帯を丁寧にほどいていく。首から肩、手首、足首。幸い、どの傷もぎりぎり着物の袖に隠れる場所である。日本は袖が長い方が好きであったので、よほど気をつけなければ気づかれまい。
 実際のところ、自分でもそれほどまでひどい傷とは思わなかった。地震であったり、噴火があった時のほうがひどかったのではないかと思う。
 全身に傷はあるが、まだ浅い。
 それよりも、外からの傷よりも、衰弱していることの方が問題で、しばしば襲われる目眩をごまかす方に注力すべきではないかと思われた。
 顔に傷をつけられなかったのは幸いである。
 ――イギリスは、いつもこちらがたじろいでしまうほどにまっすぐ顔を見つめてくるので。 
 支度が終わるとほぼ同時に、誰かが訪ねてくる音が聞こえた。
 コツコツと、規則正しい革靴の音。日本は着物の合わせを整え、玄関でイギリスを迎えた。
 「いらしゃいませ。お待ちしておりました。」
 「――ひさしぶりだな、日本。今日は戦勝祝いにやってきた。」
 扉を開けば目のさめるような鮮やかな赤。ばさりと手渡された花束は幾度かもらったことのある美しい薔薇だ。
 「――いつも、ありがとうございます。今日の薔薇は格別ですね。綺麗です・・・。」
 わずかに朝露すらついている薔薇は、本当に美しかった。かつて同盟を組んだときも赤い薔薇をもらったが、今回はそれにも勝るほどの大きな薔薇である。
 「お、俺が手塩にかけて育てた花だからなっ!」
 少し目をそらして言うイギリスに、日本は微笑んだ。
 「本当に・・・よろしかったのですか?私のところに持ってくるために摘んでしまうなど。」
 「か、かまわない。そのために育てた薔薇だからなっ。あっ!勘違いするなよ!」
 「――わかっております。イギリスさんが、ご自分のために、育てられたのでしょう。」
 にこやかに言えば、イギリスはぱっと頬を赤らめて口をつぐんだ。色が白いせいだろうか、彼はくるくると顔色が変わる。それは支配国に対する態度からはずいぶんかけ離れた様子で、日本にはそれが時にひどく不思議であった。
 ――ともすれば支配者のように冷酷な目も持つくせに、可愛らしいひと。
 それが、日本の正直な思いだった。最も、そのようなことは弱者である自分が言うことなどとてもできないが。それはイギリスが若いからであろうか、とぼんやり思う。かつての自分はどうだっただろう、と記憶をあさってみるが、自分の国以外を支配したことのない日本には覚えの無いものであった。
 「とにかく、あがってください。今お茶をご用意いたしますので。お疲れになったでしょう。」
 「ああ、そうさせてもらう。」
 茶の間の方へと誘導すると、日本宅に訪問するのにも慣れて来たイギリスは、慣れた様子で靴を脱ぎ、日本の後に続いた。

 「――それにしても、よくやったな。」
 座り込むなりイギリスは、不適な笑みを零して笑った。
 日本はそれに答えるように微笑む。
 「イギリスさんのおかげです。」
 「周りのやつはみんな驚いてるぞ。まさか日本があのロシアを倒すほど強いとは思っていなかったんだろうな。」
 得意げな言葉に、緑の瞳がきらきらと輝く。日本は黙ってまた笑んだ。
 「これから忙しくなるぞ、お前。本当によくここまで追いついたな。」
 「――ありがとうございます。」
 イギリスは上機嫌で出された紅茶を啜った。
 そう、日本はイギリスが来たときのためにいつも紅茶を用意している。一度緑茶を出したときに渋い顔をされたので。
 「これからも、お役にたってみせますよ。」
 今はまだ、とてもではないが対等な関係とは言えない。だが、近い将来には肩を並べていたいと思うのだ。
 「ああ、期待してるぜ。お前ならできる。」
 浮かれたような調子のイギリスに、日本はそっと息を漏らした。どうやら心配は無用だったようだ、と思う。イギリスは事実だけに浮かれていたようだったし、様子を偵察に来たというよりはただ喋りたかっただけのようにも思える。
 「紅茶、新しく入れ直して来ますね。」
 「ああ、そうだな。頼む。そういや、紅茶も入れんのうまくなったんじゃねえのか。」
 「お褒めに預かり光栄です。」
 ゆっくりと盆の上に紅茶茶碗をのせる。立ち上がったところでずきりと太ももの傷が痛んだが、平静を装うことは難しいことではなかった。
 「では、少々お待ちください。」
 軽く会釈をして(イギリスは頭を下げられることに戸惑うらしいのだが、もはや身体にしみついたこの動作をやめることなどできない)、日本は部屋を出た。やはり緊張していたのか、肩の力が抜ける。
 このまま上機嫌で帰ってくれるといいのだが、と思ったところで目眩に襲われた。
 思わず茶碗を取り落とし、膝をつく。どうやら割れるのは免れたようだというところまで確認して、目眩が収まるのを待った。唇をかむ。
 割れなくとも大きな音をたててしまえば、何事かと思うだろう、ここまでこなければいいのだが、という願いもむなしく、背後に足音が聞こえた。
 「日本?」
 「――すみません、手を滑らせてしまいまして、失礼を。」
 平静を装い、声を出す。けれど、返って来たのは予想とは違うもので。
 「――珍しい失態だな。」
 「――。」
 日本はその声を聞いて身をすくめた。まるで部下に言うときのような冷たい声だったからだ。氷のように冷たい。
 先ほどとはまるで違う温度に、冷や汗をかく。
 「お部屋で、お待ちいただけますか、すぐに代わりをお持ちしますので。」
 動揺を出さないように言ったつもりだったが、次の瞬間肩を思い切り衝撃が襲った。息を飲み、危うくあげそうになった声を押さえる。驚いた目で振り向けばイギリスが見下ろしていて、蹴られたのだと知った。
 「見せてみろ。」
 「――何もございませんよ。」
 「それは俺が決める。」
 再び肩に体重をかけられればひとたまりも無かった。日本は簡単に廊下に転がった。イギリスも体格はそれほどよい方とは言えないが、日本よりは上背がある。背中を思い切り打ち付けて、顔をしかめそうになる。
 「――で、どこだって?」
 「――ですから、」
 「言わないというのなら見せてもらうまでだ。」
 イギリスが日本の襟に手をかける。そのままぐいと開かれれば、着物はあっという間に崩れた。
 イギリスが眉間に皺を寄せる。着物の下には幾重にも巻かれた包帯と、未だ滲む血。
 「満身創痍ってとこか?」
 抵抗できず、されるがままになっていれば帯すらも紐解かれる。太ももの傷をなぞられて、びくりと身体がはねた。
 「おい!日本、」
 「申し開きなどありません、このような浅い傷など痛くもありません、私は立って歩き、貴方を迎えることができるではありませんか、他に何か問題でも?」
 はじかれたように日本は言った。――淡々と言った、つもりだった。なにしろポーカーフェイスは得意中の得意なのだ。
 しかし、目の前の翠が驚いたように見開かれるのに失敗を悟った。何か間違ったことを言っただろうか、と反芻するが、思い当たらない。しかし馬乗りになっていたイギリスは横にどき、日本を助け起こした。まだ目眩がとまらず、倒れかけたところをイギリスに抱き止められる。
 「――あーーー、悪かった、急に。その、別に、怒っているわけじゃない――ただちょっと、俺は、、、俺は、お前が!」
 焦ったように釈明するのが珍しい。
 こうして見ると、やはりずいぶん幼いのだと、日本は思った。美しい瞳に見入る。あんなに透明で、本当に見えているのだろうか?私と同じものが?
 こんなときなのに、場違いにもそのようなことを思う。
 「だ、だから!だから――頼むから、泣かないでくれ・・・。」
 盛大に目を逸らされて、今度は日本が驚いた。泣く?私が?
 そういえば、頬が先ほどから熱い。手で探ると熱い頬に雫が触れた。
 「あ、あれ?おかしいですね、」
 慌てて拭うが、こぼれ落ちる涙は止まらなかった。涙腺が壊れたのではないかと思う。もう長らく泣いた記憶などなかった。涙など枯れ果てたとすら思っていたのに。あまりにもみっともないので、日本は顔を伏せた。手で顔を覆うと、背中におずおずと回る腕がある。
 「い、痛い・・・のか?」
 「いいえ、大丈夫、です。」
 「ならなんで泣くんだよ!!調子狂うんだよ!」
 「――すみません・・・。すぐに、」
 泣き止む筈であるのに、泣き止むことができない。
 一度溢れ出したら止まらないのである。
 「困りました、」
 「何だよ。」
 日本が淡々と言うのに、イギリスの方がよほど困ったような声で答える。
 「上司の言いつけを破ってしまいました。」
 「――泣くなとでも言われていたのか?」
 その言葉に、日本は泣きながらも笑ってしまう。あまりにも彼が困った声を出すので。愛おしいと思うのは間違いだ、だって彼はすぐにも自分を切り捨てる準備ができている、と思う。いや、知っている。それでも、彼がこうやって自分を気遣ってくれることが嬉しくてたまらないと思った。思ってしまった。なんだろう、これは。本心ではないのかもしれないけれど、それにしては彼はあまりにも無防備だ。
 「怪我のこと、悟られるなと。」
 「――馬鹿か。お前の傷に、気づかないわけが無い。そんなの、会ったときからまるわかりだ。」
 少し、怒ったような声。日本は驚いて顔をあげた。
 「――もしかして、会った直後からわかったんですか!?私としたことが、とんだ失態でした・・・。」
 「あ、やっと泣き止んだな。」
 よかった、子供に泣かれるのは苦手なんだと聞き流せない言葉をつぶやいて、イギリスは立ち上がった。
 日本も慌てて立ち上がると、イギリスは不機嫌そうに元いた茶の間をあごでさした。
 「――?」
 「待ってろ。俺が入れてやる。ったく、そんなひどい顔色で、いつ倒れるかとこっちはヒヤヒヤしていたんだ。」
 「そんな、」
 少しむっとして言い返そうとしたが、相変わらず足下がおぼつかなかったので(目眩というよりも泣きすぎて平衡感覚がおかしくなったのではないかと思う)、日本は足下の茶碗を片付けるとおとなしく茶の間に戻った。ふと鏡を見ると目も頬も赤い。
 「――ほんとうに、私としたことが。」
 他国に弱みを見せるなど。悔しくそう思ったが、嬉しい気持ちの方が勝った。だって、あのイギリスさんが自分に紅茶を入れてくれるというのだ。
 体調の悪い自分を気遣って。あのイギリスさんが!!
 これからどうなるのかはわからない。このまま、隣に並べる日はこないのかもしれない、と日本は思った。けれど、それでもこの気持ちは。この気持ちは残るだろうか?かつて兄のように慕った中国への思いが、苦いものへ変わってしまった今でも、それを信じられるだろうか?
 日本には、結論を出すことができなかった。けれど、たとえ気持ちが変わったとしても、今の自分がそれを嬉しく受け止めていたことだけはずっと忘れないだろうと思った。
 
 






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