すいみんせいかつ


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つめたい指先1


コホっ、と咳をしてから、しまったと思った。
おそるおそる目を上げると眉をしかめた兄さんの顔。読んでいた新聞をたたみ、こちらへ手を伸ばしてくる。額に触れられそうになってすんでのところでかわすと怒ったように手首を掴まれた。

「アル。」
「な、なんでもないってば!」

振り払おうとすると、兄さんの手はさらにきつく食い込む。

「なんでもなくてなんで咳が出るんだよ。」

テーブル越しに身を乗り出してくる。身体にしては大きな手でがしりと肩を掴まれると、もう逃げることは出来なくて、仕方なく、苦い顔をした兄さんを見上げる。

「ちょっとむせただけでしょ。大体、食事中にものを読むのはやめてって何度言ったら、」
「話をすりかえるな。」

簡単に遮られて、ムッとした。兄さんはこうなると聞く耳を持たない。何を言ったって自分のやりたいことを続行するのだ。
なおも伸ばしてくる手を乱暴に押しのける。

「どうしてボクの話を聞いてくれないのさ!」

大きな声で怒鳴ると、さすがに驚いたような顔をして手を引いた。

「そんなに怒ることないだろ。」
「怒りたくもなるよ。話しているときはボクの方を見てよ。そして食べ物を食べるときは食べ物を見て。ボクが心を込めて作ってるんだから。」
「・・・う。それは・・・悪ぃ・・・。」
「だから、食事の時はきちんと食べて。じゃないと兄さん本とか新聞の方に没頭しちゃうんだから。」
「わかったって!!でも今はその話はおいといてだな、」
「大丈夫だったら!」

大声を出すと、胸がきしんだ。
「・・・・・・っ!」
コホン。
再び咳が零れてしまう。

「アル!」

不意をつかれて今度は逃げられず、額に触れられた。椅子の上にのしかかられて、のけぞる。

「熱は・・・ない、か?いや、少し熱いな。」

真剣に呟くのを見て、溜息をついた。兄を押しのけ、座り直す。

「あのね、ボクはもともと体温が高いんだよ。平熱。自分の身体なんだから、状態くらいわかるよ。だから、大丈夫だって言ってるのに。」

押さえ込まれて乱れた制服のネクタイを締め直すと、兄は憮然として言った。

「そんなことない。お前はいつもぎりぎりまで無理してる。大体、なんでお前がおちこぼれの生徒の面倒みてるんだよ。テスト前に泣きつかれる度に丁寧にヤマかけてやって。そういうのはためになんないって言ってるだろ。身体にも負担がかかるし。お前、ちゃんと自分の身体のこと周りに言ってあるのか。」

お説教モードに入った兄に嫌気がさして、ぷい、と目を逸らす。

「・・・煩いな。だって進級が危ういって言うんだもん。今度赤点とったら。それは可哀想じゃない。別に、ヤマ教えてあげたって減るもんじゃないし。それに兄さんは大袈裟なんだよ。まるで人のことを持病持ちみたいな言い方して。」
「持病持ちだろ。それに、減る。テスト前に無茶をして体調崩してるんだから。」
「ボクは病気じゃないの!それに体調だっていいよ!万全、ってわけじゃないけど、ちょっと寝不足なだけでしょ。」

言いながらも、咳が零れそうになって慌ててこらえる。
どこか作りが弱い自分の身体は、少し無理をするとすぐにこれだ。本当に嫌になる。

兄さんは目を細めてその様子を眺めていたけれど、やがて溜息をついて言った。

「・・・アル。お前今日学校休め。」
「そんなわけにはいかないよ。今日テストだもん。受けとかなきゃ。」
「別に高校なんていかなくていい。何が面白いんだ、そんなところ。」
「・・・楽しいよ、それなりに。」
「大学の方が図書館も使えるし便利だろ。」
「・・・ボクは博士号なんてとれないもん。」
「・・・アル?」

声が小さくなったことにいぶかしげに問いかけられる。それを無視してボクは床に置いていた鞄を取り上げた。

「もう行かなきゃ。遅刻しちゃう。行ってきます。」
「おい、アル!待てよ、」
「大丈夫って行ってるでしょ!しつこいよ!」

わざと打撃になるような言葉を投げつけて、今度こそ兄さんにつかまらないように素早く席をたつ。
早足で逃げるように家を出ると、もう追ってこなかった。

ホッとして曲がり角で足を緩めるのと同時に、今までこらえていた分の咳が一気に出る。
胸の奥を引っかかれるような鋭い痛み。自分で思っていたよりも酷くて、ようやく咳がとまったころには額に汗をかいていた。それを手の甲で拭い、息を整える。

本当に、不甲斐ない身体。それに、ボクには兄さん程の頭脳もない。飛び級した挙げ句に大学をいとも簡単に卒業し、博士号までとってしまう程、頭は良くないのだ。

その差を悔しく思ったことはあれ、兄さんを妬んだことはない。努力はボクが持っている才能の一つでもあるから。少なくとも努力すれば兄さんに近いところまで行くことが出来る。それは自分で信じられた。けれども、正直、最近努力するのが辛くなってきたことも事実だった。無理をするとすぐにどこか壊れるこの身体のせいで。

思考を止めると思い出されるのは、真剣な顔をして触れてきた兄さんの、ひんやりとした手。

――兄さんは、ボクのこの感情を知らないと思う。だって彼は、いつだってボクの頭脳を自分と同じ位のものと前提して話をしているから。だから、余計にボクは努力がやめられなくなる。正直、高校の授業は進みが遅いし内容が薄くてつまらないとは思っていた。でも、そこを抜け出すことは兄さんとの実力の差を明らかにすることで。そんなことになったら。

・・・兄さんと顔が合わせられない。これ以上、つながっているものを・・・少なくとも、つながっていると思われているものをなくすことで何が生まれるのかなんて、考えたくもなかった。

――異質なもの。

ただでさえ警戒心が強い兄さんの、外側へ追い出される。
その時に向けられる目を、容易に想像することが出来た。

・・・・・・・そんなのは、死んでも嫌だ。

だから、ボクは多少身体に負担がかかろうと、そのことで兄さんに心配をかけようと、努力をやめない。






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