すいみんせいかつ


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続・つめたい指先2


誰かに呼ばれたような気がして目覚めた。
それは何か、優しい予感のようなものだった。
春風のように柔らかく、けれど午後の光のように力強くもあった。優しく撫でられるように、名前を呼ばれた。声は思い出せない。誰か、凄く身近な。女の人だったような気がする。母さんにしては低く、師匠にしては柔らかい声。

いつのまにか、夕方になっていた。
本当は昨日までに送るはずだった論文を投げ出して眠っていた。
アルは珍しくここのところ調子が良くて、穏やかに眠っているのを確認して、オレは久しぶりに仕事に専念したのだった。下敷きにして眠っていた原稿を見ると、最後の方は読めない程に字が歪んでいる。それを見て少し笑った。自分で思っていたよりずっと、疲れていたのかもしれなかった。

「兄さん。」

がちゃりという音と共に、ドアが開いて、慌てて振り向く。
そこには普段着を着てエプロンをつけたアルがいて、一瞬、まだ夢を見ているのかと思った。
目を丸くして何も言えずにいると弟は少しだけ眉を顰めてこちらへ歩いてくる。その姿にみとれた。
いくら見ても見飽きることがないくらい、大好きだった。すきだ、あいしてる。いや、やっぱりそういうのとは違う。いつだってずっと一緒に育ってきたオレたちにそういう、恋愛のコトバはしっくりこない。オレはいつだってアルに恋い焦がれているけど、時々どうしようもないほどの激しい思いが湧き上がってくるけど、基本的にはアルへの思いはもっと穏やかなものだ。ひどく、愛おしい。そう、愛おしいと言う言葉の方が近い。慈しみたい。大切に触れたい。けれど、もっともっと強引に何もかもが欲しいとも思った。

近付いてくるアルの目は揺れていた。視線は真っ直ぐにオレの目を射抜く。いつものように。夢の中ですらもそうであるように。その目もまた好きだった。まっすぐで綺麗で、それなのに優しい瞳。まだ頭の中は夢を見ている。オレを呼ぶ声が耳を離れない。何も言わないままのオレの目を、アルは少し不安そうにのぞき込んだ。

「大丈夫?疲れているんじゃない?」

すっと、額に触れられる。アルの手は少し湿っていて、ほんのりあたたかかった。
そこでようやく我に返る。これが現実だということを実感する。

「…アル…?」

出した声は掠れていた。そのまま手を伸ばすとアルの腰に手を回し、ぐいと引き寄せる。不意を突かれてバランスを崩したアルを抱き留めると、ふんわりと美味しそうな香りが漂った。顔を近づけて熱をみる。体温がオレとそう変わらないことを確かめてから、ようやく腕を緩めた。不機嫌になったのが顔に出たのだろうか、アルはオレの顔を見て困ったように笑った。

「そんな顔しないで。ほんとに今日は調子が良かったから。」
「せっかく調子が良くなったのに悪化したらどうすんだよ。」

低くなる声。その声に、アルはまた笑う。手を伸ばして、長い前髪に触れられる。髪をいじられるのは嫌いじゃない。相手がアルならば。

「休んでろよ。」
「いやだ。熱が下がったのにどうしてベッドの上にいなくちゃいけないの。」
「でも。」

アルは微笑んだまま黙って首を横に振る。そしてオレの腕からするりと抜け出した。
離れていく手を無意識に捕まえると、アルは少しだけ驚いたような顔をした。
立ち上がって、オレの顔をもう一度のぞき込む。

「兄さん、休むんなら、ちゃんとベッドで眠ったほうがいいよ。」

心配そうな調子。心配するのはこっちの方だっていうのに。
こういうのは慣れなくて、眉を顰めたまま目の前にあったアルの髪をくしゃくしゃと撫でた。

「いや、よく寝たから。いい。」
「……そう?」

優しい声だった。何かに似ているような。どこか、消えてしまいそうに柔らかい。

「ご飯にする?実はもう、出来てるんだ。兄さん、ここのところちゃんと食べてなかったでしょう。」
「あー、そうだったか?」
「冷蔵庫、見ればわかるんだから。もう、ボクのことばっかり心配して、なんでそんなに自分のことには無頓着なんだよ。」
「んなことねーよ。」
「あるよ。」

逆光。
明かりのついていないこの部屋は暗くて、少しでも離れてしまえばもうアルの顔が見えなくなる。それでも、小さな声で言ったアルの顔は泣きそうに歪んでいるのだとわかってる。

「泣くなよ。」
「泣いてないよ。」

立ち上がって背中を撫でると、ぷい、とそっぽを向かれた。
苦笑すると、アルは不意に振り向いて言う。

「ほんとに、身体は大切にしてよね……。」

それがひどく真面目な調子だったので、オレは頷くことしか出来なかった。
導かれるように外へ出る。
明るい電気の下、久しぶりの手作り料理の香りに、ぐぅ、と腹が鳴った。





*     *     *     *     *





食卓にはかなりの品数が並んでいて、その多くはオレの好物だった。
豪華なものばかり、という訳ではない。以前、毎日のように食卓に並んでいたもの。アルがよく、弁当に入れてくれてたもの。
例えば海苔の入ったたまごやき。ラディッシュのサラダ。
エビフライ、サーモンのソテー、鯛のカルパッチョ。あさりとたまねぎのパスタ。
小さな小皿に入れられたそれぞれは綺麗にならべられていたけれど、全て一人分だった。
オレの手首をつかんでいたアルの横顔をじっと見る。その視線に気付いたのか、アルは振り返って困ったように笑った。

「お前は?」
「食欲ないから。」
「……でも。」

アルの食は細くなる一方だった。
最低限の栄養は結局点滴で補っている。でも、食べるに越したことはない、それなのに、アルは一口だけ食べるともういい、と言うのだった。

「作りながら、いろいろ口にしたから、もういいんだよ。」
「アル。」
「いいの。――ねえ、せっかくだから、あったかいうちに、食べて。」

柔らかく微笑まれる。いつものように。
視線が外される瞬間、色の薄い瞳が綺麗に透けた。
離れていく手を、再び掴もうとしてやめる。その指も、骨が浮いて折れそうに細くなっている。
触れれば崩れてしまいそうな。

「ほら、座って。」

そう言って、アルはかたんといつもの席に腰を下ろした。
少し俯くと、影になる頬。細くなったというより、小さくなった印象が強かった。
するりと手の中から抜け落ちてしまう。前だってアルはオレの言うことなんか聞きやしなかったけど。でも反発するようなきつい眼差しなどもう、見ることはなかった。
アルの向かいに、腰を下ろす。がたんと音がする。その音を聞いてから、アルの立てた音がいかに軽かったかを知った。抱き上げるたび、軽くなっていく身体。毎日のように触れていれば、気付くこともあまりないけれど。改めて思い知る。留めようとするのに。けして重い病にかかっているわけではないのに。長い長い時間をかけて、アルの命はすり減っていく。

「食欲ない?」

聞かれて、首を振った。真っ直ぐにこちらへ向かってくる、視線。こうやって向かい合って食べるのは久しぶりだった。それなのにこんなにも気詰まりなのは、目の前のアルが肘を突いて、ただただじっとこちらを見つめているだけからだ。

「お前…、食べないなら何か飲んでろよ。」
「なんで?」

アルの視線はあくまで穏やかで優しい。
けれどそこにはからかうような響きがあって、オレは憮然とした。

「じろじろ見られてると食べにくいんだよ…!」
「そう?だって自分の作ったものを食べているところって気になるじゃない。美味しいのかなって。」

ゆっくりと、瞬く。
視線は外れなくて、食べているものの味なんてわからない。

「お前の作るもので美味くなかったものなんて一つもない。」
「嘘。前にミルクプリンを作った時には食べてくれなかった。」
「はぁ?あれは嫌がらせ以外のなにものでもないだろ!」

いつもの会話。軽口。応酬。
ずっとずっと昔から繰り返されてきたオレたちの日常。
それなのに今日は何故、こんなにも愛しいのだろう。
胸が騒ぐ。

「……美味しい?」

のぞき込むようにしてアルが聞く。
黙って頷くと、ほっとしたように微笑まれる。
綻ぶように、けれど影をもつ。長く長く。ふと見た窓の外は完全に真っ暗だった。
食卓の電気は眩しい。

「お前、もう休んでろよ。」
「いやだよ。」
「また調子が、」
「それはもう聞いた。」

目を真っ直ぐオレからそらさずに、アルは言う。
背をただして、頬杖をやめたアルの指はテーブルの上に投げ出されている。
細く、檻のように伸びる影。

「ねえ、もうこれがきっと最後だから。」

切り出されたのは静かな調子だった。小さな声。
昔よく、隠していたことを白状していた時のような声だ。
何を言われたのか、理解するまでに数秒。
動揺する前に唾を飲む。
それは言ってはいけない言葉、ではなかったか。

「兄さん。もう、こんなに調子がいい日は今日が最後なんだよ。だから、腕によりをかけて作ってみました。」
「……アル!」
「だから、兄さんが、ボクの料理を食べるのを見られるのも今日が最後。」
「何言って……!!」
「本当のことだよ。」

諦めた調子はなかった。アルは、弟は本当に淡々と自分の知っている事実を述べるようにそう言った。怒ろうとしたのに、必死にかき集めた言葉はどれもこれも気休めにもならない手垢のついた言葉ばかりで、オレは何も言うことが出来なかった。それでも言葉を探す。何か言わなくてはいけないことがわかっていたから。だってアルは平気なはずはないんだ、そんなに冷静にいつか遠くない日に迎える終焉の日を告げられたら、困ってしまう。どうすればいい。

アルの目を見返すことが出来なくて、目を落とすと先ほど投げ出された細い指へと視線がいった。
骨の形まで綺麗にわかるほど小さくなってしまった手。
その手が、微か、本当に微かに震えていることに、しばらくたってから気付く。
さっと冷静になって、顔を上げた。涙のたまった目がそこにはあって、たまらなくなって手を伸ばす。
立ち上がって、テーブル越しにそっと抱きしめた。

箸がテーブルの上に落ちる、音。
けどそんなことには構っていられない。それよりも、ずっと、アルを近くに感じたくてきつく抱く。

「アルフォンス。」

ゆっくりと名前を呼ぶ。あたたかい頬に、身体に。確かめるように触れる。
見ないようにしてきたわけじゃない。そういう可能性を考えることをいつも後回しにしてきただけだった。オレはアルから離れられなくて。だから、その日を想像することができなかったのだ。それなのに、アルはずっとずっと真っ直ぐに、オレのもとを離れる日を見つめていた。それがひどく、寂しくて胸が痛かった。

「そんな顔しないで。ボクはまだここにいるんだから。」

ゆっくりとオレから離れて、アルは言った。
涙をたたえて、けれどとても柔らかい、笑み。

「どうして、お前はいつも……。」
「ね、食べて。兄さんが食べるとこ見るの、好きなんだ。だから。」

もう一度、ゆっくりとまばたき。
そうして再びオレを見たときにはもう、アルの目は涙はなくて。
本当に大丈夫そうに笑ったから、オレは乱暴にアルを離して、座った。

がたん。もう一度、椅子の音。いつまでも変わらないのはオレだけだ。

泣きそうになりながら、こみあげてくるものを押し殺した。大急ぎで口に詰め込んだものは味などわからなくて、ただただ苦く涙の味がした。






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